「人間の証明」というタイトルのこと


不安な日々の中ですが、猫のフサフサした白い手足の写真でも見て和もうではありませんか、と思いまして(笑)。さて、ちょうど1カ月ほど前になりますが、古本屋さんで思い立って「人間の証明」の文庫を買ったのでした。少しずつ読み進めてて、昨日読み終わりました。後半の真相が明かされていく場面は、予想していたものよりも切ないものでした。そして、登場人物の相関も意外なほどにあって、正直ちょっとありすぎるかもとまで思いましたが、ちょっと思っただけですので(笑)。舞台は東京都心、ニューヨークのスラムなんですが、殺伐とした潤いのない世界として描かれている中に、あの西条八十の「お母さん、僕のあの帽子どこへいったでしょうね」の舞台の美しい渓谷の描写がひときわ沁みてきます。物語の冒頭、いきなり殺害されてる「息子」がとても哀れなんですが、お母さんに寄せる気持ちの想像以上にセンチメンタルなことに悲しみが増します。
タイトルの「人間の証明」の意味するところ、というのを時々気にしながら読み進めましたが、後半、ああなるほどそういうことかと腑に落ちました。「人として」「人であるなら」ということへの期待というか。人というものは徹底的に悪だけにはなりきるものでないはず、なぜなら人だから、ということを信じる気持ち、というか、です。こんなに非道に見えても、実際とんでもなくても人間である以上は、ってことなんですよね。人間であることが証明されるかどうか、です。大ヒットのベストセラーではありますが、私みたいに何十年も経ってから読んでる者もいますので、奥歯にものを挟んだまま感想を語ってみました(笑)。