炊飯器

[rakuten:dejikura:10049931:detail]
日々の必需品のひとつ、炊飯器が壊れました。じわじわと壊れ始めて(笑)、いや、笑ってる場合ではありませんでしたが、なんだかその壊れ方が納得のいく壊れ方でした。目に見える部分があれよあれよと壊れる、というか。たとえば、昨年末の忙しいときに掃除機がいきなり壊れましたが、あれはいったいなんで壊れたのかぜんぜんわからない壊れ方でした。プラグはちゃんとコンセントにさした、もしやと思って新しいごみパックに替えてみた、別な場所のコンセントにもさしてみた、でもまったく反応なしで。忙しさもあって、きー!なんなの、いったい!!なんて掃除機に切れましたが(笑)・・。
さて、では炊飯器はどういう風に壊れたのかというと、蓋でした。ある朝、炊飯器の蓋を閉めると「ガツン」という妙な音がしました。へんだなと思いながら使っていましたが、その日のお昼に、蓋と本体をつないでいる可動部分の覆いのカバーが取れました。え??なになに??と思い、直してみようと思いましたがうまくいかず。夕方ご飯を炊く前に、再び直そうとあちこちいじっていたら、蓋と本体を接続していた肝心の部品が中で割れているのを見つけました。これか?(←・・・だからってそれをどうしたらいいのかはわからないんですよ 笑)と、手をかけたら勢いよくその部品は外れてしまいました。ま、わかりやすく言うと、さわってるうちにとどめをさしてしまった、ってことですかな(笑)。そういうわけで、バネも利かなくなり、炊飯器の蓋は本体にただそっと載せて使ってました。2日間ぐらいかな・・・。それでも炊けるし保温も大丈夫でした。が、食事のたびに、両手でそっと蓋を持ち上げてはずしてご飯を、っていうのが、やっぱりちょっとね〜・・・ということになって買いました。内釜に「羽」がついてます。昔の釜みたいでかわいいです。
ところで、最近はあまり耳にしなくなりましたが、食べ物を残すことを諌めるときに「世界の中には食べたくても食べ物がなくておなかをすかせている人たちがいるんだから、(残すということは)そういう人たちに申し訳ないんだから残してはいけません」ていうのがありますよね。テレビのドラマやアニメなんかでも聞いたことがあるんですが、いつからそういう風に言うようになったのかな??と思います。昔は(昔、っていうか私が子供の頃は・・・昔ですね 笑)「食べ物を残すとばちが当たる」っていう言葉でOKというか効き目あったものです。気ままに食べ残すということはつまり、食べられる予定で、それなら、と生命を切られて食卓に並んでいるあれやこれやの食べ物に申し訳ないだろうが、という考えが根ざしていたように思われます。自分対食べ物の関係というか。「世界のおなかをすかせた・・・」の論は、食べ物を持てる自分 対 持てない自分じゃない人 って、ことで、そこを比べて感謝して食べるようにって、やっぱり変な理屈ではなかろうか、と思います。食べ物への感謝、っていうより、食べ物を自由にできる自分の身の上への感謝なら持つようになるのかもしれないけど。でも、なんか・・・やな感じっていうか(笑)・・・
と、ちょっと(ちょっと?笑)話しが逸れましたが、とにかく、食べ物には感謝したいものです。だから、せっかくの米もやっぱりちゃんとした(壊れていない)炊飯器で大事に炊いて大事に食べたいものです、と改めて思ってるところなのです。