寺山修司の短歌

寺山修司・斎藤慎爾の世界―永遠のアドレッセンス

寺山修司・斎藤慎爾の世界―永遠のアドレッセンス

今日は今までと違ってぐっと寒く、冬らしい空です。曇った空の下で眺めてみれば、草も木も実はすっかり枯れてることに急に気がつきました。ねずみ色の空と枯れ草を見てたらふっと寺山修司の短歌を思い出しました。歌集「田園に死す」の中の、妙に気にかかる私の好きな1編です。
 
売りにいく 柱時計がふいに鳴る 横抱きにして 枯野ゆくとき

「枯野」で、今の季節を私は連想しますがほんとはどうなんでしょう??とにかく、荒涼とした枯野を少年が、家からこっそりと持ち出した「金目」のもの、柱時計を売りに行くところですね。売ってどうするかというと、少年は故郷を捨てて東京に行きたいと渇望してるわけです。売ったお金はその資金に充てるつもりってことで。
田園に死す」は、同名の映画もあって、しかしながらなかなか内容がどぎつくて、私はまだ通して見たことがないんです、実は。それなのに寺山修司の短歌についてあれこれを語るのもどうかとは思いますが・・・。ま、いずれ、映画の中にもこのシーンがあったかも!いや、なかったかも・・・なんですが、設定はそういう感じでだいたい合ってるはず(怪しい・・・笑)。
柱時計を勝手に売りにいくという後ろめたい気分で急いでいる時に、横抱きにしてたそれが急に「ぼーん」なんて鳴ったら怖いというか、なんというか。売りにいく人間の私が立場が優位ではあるけれど、売られる側からのかすかな自己主張といいますかね、それを感じてしまいます。怖いやら後ろめたいやら切ないやら。そういう気分を乗り越えて更に枯野を行く少年は、恐ろしいモノになってる気がします。