押し絵の奇蹟

夢野久作 (ちくま日本文学 31)

夢野久作 (ちくま日本文学 31)

書店で見つけたので買ってきて読み始めています。「ちくま日本文学」という全40巻シリーズがあるようで、この夢野久作は31巻目です。作品目録かなにかで見ていて印象に残っていた「いなか、の、じけん 抄」という作品が最初に掲載されてますが、いきなりなんだかすごいです(笑)。あちゃ〜・・・って感じ。これこれ、もっと気の利いたきちんとした感想はないのかね?と思われそうですが・・・。「いなか」での事件というかできごとが記録文のような報告文のような形で紹介されてます。といっても、もちろん創作の小説なんですが。そのできごとが、なんというか、どれもこれも愚かしさからくる切なさ、バカバカしさいっぱいです。4件の出来事に共通しているのは「愚直」ってことかもしれません。揺るぎない感じです。読み終わると、ただひたすら「あちゃ〜・・・」という気分が残ります。読まされて終わり(笑)。
さて、「いなか・・・」の次は「瓶詰地獄」、その次が「押し絵の奇蹟」という小説です。そこまで読み終わりました。この小説は「瓶詰・・」のように、書簡の形式でつづられています。それがけっこう長大な手紙です。こんな手紙もらったらさぞかし重い気分になるだろうが・・という内容もさることながら、分量、多すぎ。時々「これ、手紙だったっけ?・・・」などと思い出しながら読み進めましたが、ひと思いにこれだけの長さの手紙を書くというその様子が不気味に感じられてしまいます。そして、ひとつの手紙だけで小説が終わるので、その後、だからどうした、という説明がいっさいないのがまた不気味。手紙の書き主の一方的な告白でぶっつりと終わるので、さて、果たしてこの手紙の内容のどこからどこまでをまともなものとして読んでいいものか・・・と思ったりしてしまいます。もしや単なる偶然の連続を、動かしがたい真実と思い込んでるだけだったりして・・・と思えなくもないわけで・・・。そう考え始めると、「瓶詰・・・」を読んだ時も「ドグラマグラ」を読んだ時も感じた、「これってある人物の頭の中だけで繰り広げられている夢想なのでは??」という、身も蓋もなしな感想が浮かんできたりします。
「自分の心の中でそっと想いを寄せている(だけの)人にそっくりな子供が産まれる」、ってことは実際あるのです、という、もっともらしい学説なども引いて手紙は長々としたためられるんですが・・・そんなことはないだろう、いくらなんでも、とやっぱり思ってしまうじゃないですか・・・?「胎教」として素敵な役者の絵を毎日恋焦がれて見てたらその役者にそっくりな子が生まれた、ということなのでしょう、と言われてもね〜・・・・でも、手紙の書き主はマジなんですよね〜・・・。う〜ん・・・どうしたものやら・・・。