主なしとて

今日は朝早くから出かけて震災で被害のあったところに行ってきました。その町には親類がいたのでした。家は被災し、がれきはすっかり片付けられていました。家の土台だけが残っていて、まるでこれから家が建ちそうに見えるんですよね・・・。そこに花や線香をたむけてきました。お墓参りもしてきました。震災後、初めてようやくお参りをすることができました。
その家に住んでいたのは私のおじとおばでした。おばは花が好きで、庭にはいろいろな草花がいっぱい植えられていて、一度だけ遊びに行った私は(おお・・・こういうのってイングリッシュガーデンとかいうよね・・・)などと感心したのでした。庭のあちこちに小鳥の餌場も作られていて、家の中からバードウオッチングができるのも素敵だな〜なんて思ってたものです。
さて、土台だけになった屋敷跡の庭だったと思しきところのあちこちに、緑の息吹がありました。低い常緑の木からつやつやと緑の葉っぱがいっぱい出ていたのです。
大宰府に行かされてた菅原道真が詠んだ有名な歌がありますが、それを思い出しました。「東風(こち)吹かば におい起こせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ」。学校で習いますよね、これ。「京都の私の邸の梅の花よ、主人である私がいないからって春の訪れを感じたら咲かなきゃだめだぞ」みたいな意味でしょうかね。「寂しいからって咲くのを忘れちゃいけないのだよ。」と詠いつつ、でも実はそこは自然のなんともいえないクールなところで、暖かくなったら季節の花は咲くわけですよね、主がいようといまいと。「主なしとて 春を忘れじ」って感じですかね、木々や花からしてみたら。。菅公はそこももちろん充分わかってて、むなしさいっぱいだったことでしょう。主不在を嘆いて、一年ぐらい咲かないでしまう花や、芽吹くことのない木もあってもよいのかもしれませんが、おばの庭の木も緑を取り戻していました。
自然はおかまいなしですな〜・・・。クールでマイペース。たくましさを喜ばしいと思うよりも、なんだか複雑な気持ちがしてしまったのでした。